卓袱屋3

 「 旨さ 」とは、 味覚を媒介とした精神的充足の事だろう。
思考ももちろんあるだろうが、「 旨さ 」を脳に媒介する味覚は、 地域や気候・人
種によって異なるはずである。
  また同じ人種でも、 個人個人がすべて異なる持っているだろうし、 その個人でさえ
時と場合、 季節や体調によって感じ方が変化するはずである。
生活習慣や地域的な産物など、 さまざまな要素によって思考も左右される。
勿論、 ある共通項は存在するだろうが・・・・・。
   私は、 世界三大珍味とされる ( これも誰が言い出した事なのわからないが )
 ファアグラ・キャビア・トリュフを 旨いと思って食ったことがない。
 フォアグラよりも健康なチキンのレバーの方が、 キャビアよりも自分で醤油漬けし
た筋子の方が余程おいしく感じる。
( いやいや、 カワハギの肝だって、 石ガレイの肝だって フォアグラよりは余程旨
いぞ )
  さてさて異論続出で、 話が面倒な方向にいってしまいそうなので、 元に戻そう。
  死にそうな程の空腹をかかえている時でもなければ、 私は嫌いな奴と ( あるいは
私を嫌っていると私が知っている奴と )食卓を共にしたくない。
食い物が旨くないからだ。
  卓袱台に、 私は子供の頃の一般的な家庭の 家族そろっての夕餉の団欒を重ね合せ
て、ノスタルジックになっているだけかもしれないが、 あの頃の食卓には、貧しい
なりにも暖かく、楽しいものが並べられていたと思う。
「 生きていくために食うもの 」を並べるのが卓袱台であるには違いないが、 しか
しその上には、それだけではないものも ( 形にならない ) 並んでいたはずである。
  それ等、 形にならないものが 文化を支える根元ではないか。
  だからこそ卓袱屋をやりたい。
肥満するための「 美味しい 」物を並べた豪華なテーブルでなく、 卓袱台を配して
そういう物を並べられる店を作れないか。
  料理は何でもいい。 自分でウマイとさえ思えれば、 ハンバーグあり、 スパゲティ
・グラタンあり、 生姜焼きあり、 時にはフレンチっぽく仕上げた魚料理あり、 と
もかく自分で旨いと思えば それを全てお客さんに出してしまおう。
  それが 「 チャボヤ 」ではなく 『 卓袱屋  カフェ・テン 』の基本的姿勢である。
                                         ・・・  つづく ・・・


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