卓袱屋1

 あるレストランに勤めていた頃の事である。
公私にわたり可成親しくしていた調理人が、その店を辞めるといいだした。
 四六時中忙しい店で、働く者のチームワークがよほどガッチリしていなければやって
いけないような、そんな店を想像していただきたい。
 当時、私はその店の責任者だったのだが、周囲の皆の熱心な慰留にも耳を貸さなかっ
た彼が、私にだけ言った言葉がある。
曰く、「
所詮、ここはチャボヤだからな。俺はもっとレベルの高い、一流の店を作
りたいんだ。」
 その「チャボヤ」の意味するところが何なのか解らず、それでもニュアンスとしては
「三流店」という感じだけが伝わってきた。
 以来、その事は何年も忘れていたし、彼との交流も途絶えて、果たして彼が「一流」
のコックになったかどうかも知らずじまいだった。
 ところがある日突然、私の頭の中にその言葉が浮かんできて、そしてその時、「チャ
ボヤ」ではなく「チャブヤ」なのではないかと思ったのである。
 彼は聞きかじった言葉で、どういう意味なのか、どういう字をあてるかなど考えもせ
ず、「三流店」という語の隠語のように使ったのだろうと、私は考え到ったのだ。
「突然」とつい書いてしまったが、実はテレビで「茶ぶ台」という文字が流れたとい
う伏線はあった。
 正しくは「卓袱台」だろう?
マッタク今のテレビの知的レベルはどうしようもない
な・・・・・などと考えていた時、「チャボヤ」は「卓袱屋」ではないかと思ったのである。
今ではあまりお目にかからなくなった「卓袱台」。星一徹が怒ってひっくり返してし
まうあの「卓袱台」である。
 その上に並ぶであろう料理を考えると「卓袱屋」の意味も見えてくる。
 要するに、家庭料理やそれに毛の生えた程度の料理を出すのが「卓袱屋」で、プロ
フェッショナルはそれとは一線を画した特別な料理を出さなくてはいけない・・等とい
うようなある種の意味の無い自意識といったようなものが「卓袱屋」という言葉に詰
め込まれているのだろう。
 日常の食生活に供させる食事とは異なる、いわばグレードの高い料理を提供するのが
「一流店」であるという意識。
彼の言葉がそこまで明確に意味していたかどうかは不明である。
 しかし、コックたちが一般に使う「卓袱屋」という、ある種の蔑みを込めた言葉が、
 そういう意味なのだという事は想像に難しくない。
 世を挙げて、「フランス料理」や「イタ飯」だという時代に、私が逆に
密かにでは
あるが「卓袱屋」をやろうと思ったのは、その意味が解ったからだ。

                                         ・・・  つづく ・・・


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